書き続けるって難しい

始めはなんでもいいから毎日書こうなんて思ってたのに、気がついたら一週間以上たっているのだから難しいものだ。

 

この一週間、色々あった。かみさんの手術があったり、ミュージカルのスタジオ録音があったり、ビザの更新にとてつもない額を提示されてショックに陥ったり。そして今日二年振りに一人で眠ることになったりと。

 

最後のが一番つらい。今まで感じたことのない喪失感のせいでベッドに入れば一瞬で眠りにおちてきた僕がちっとも眠れないでいる。このままフェードアウトしてしまうのだろうか。よくある失恋話しの一つとして過去を振り返ったときに「ああ、あんなこと付き合ったりしたなあ」なんて語れる日がくるのだろうか。

 

ボリビアの生活情報についてのブログにしたかったのに、全然それが始まる気配が感じられないのはただただタイミングが悪かったせいだろう。この問題が解決するか、傷が癒えるかしたのちに毎日食べてるものとかアップしていきたいと考えてるのでもう少しお待ちください。

思うようにはいかないものらしい

このブログが今後子育て日誌のようになっていくのかなと思っていたのだけど。

 

前回お医者さんに一週間後に別のところでエコグラフィアを撮るように言われていたのでそちらに向かった。ビルの一階にあるとてつもなく小さい診療室。でも置いてある機械はいつも行ってたところより高性能らしくついた時はすでに長い列ができていた。

 

1時間半ほど待っただろうか。ようやく僕らの番が来て中に入る。そのところは「見て、味のついたコンドームだよ!」なんてはしゃいでいたのだけど。嫁さんも3回目ともあって台に上がる姿がどうどうとしてきたように見えた。

 

結論から言えば中の子供はだめになっていた。前回のエコグラフィアでほとんど育っていないのがおかしかったのだけど、確認するまでは大丈夫だろうという気持ちがあった。15%ってそんなに高い数字じゃないし。でもだめだったみたい。

 

ねっとには本人の責任はまったくないので責めないようにとあった。責めてるわけじゃない。ただ悲しかった。次がまだまだあるということが分かっていても悲しかった。その感情はどうしようもないものだ。

 

きっと、僕たちの準備がまだできてないことを悟って空気を読んでくれたのだろう。僕の子供だ、それぐらいのことは朝飯前だと思う。本当に申し訳ないけど、これから頑張るから準備ができたときにぜひまた来てほしい。その時は100%の気持ちで迎えて上げたいと思う。

 

また会おうね。

二回目の診察

前回の失敗を繰り返さないようにしっかり事前に予定をたてて一緒に行動することに。

 

お昼ご飯を食べた後に病院に向かうとドクターがまで来ていなくて3時頃にまた来てくださいとのこと。5時に仕事をいれてしまったのだが間に合うだろうかとこの時点で少し不安に。

 

2時間も待てないので一度家に戻るといきなり睡魔に襲われ30分だけ横になる。嫁さんも妊娠の影響で常に眠気があるらしく、一緒に横になっていたら案の定寝過ごしてしまった。結局3時半になってしまったのかな。ここからさらに待たされて面会が叶ったのが4時30分。そしてエコグラフィア(日本語で何て言うんだろう。お腹の写真。)を撮ってからまた戻ってきてくださいと言われ、その時点で仕事

の時間に。

 

行ってもいいかと聞くと、口ではokといいつつも、もし本当に行ったら泣くわよという目で脅迫してきたので仕方なく1時間程遅れる旨を伝える。エコグラフィアについてきてほしいとせがまれてというと、それは一緒にいてやったほうがいいと理解していただけた。

 

そしていよいよ心臓が聞こえるのかと緊張とわくわくで部屋に入り技師の方に挨拶をする。酷く殺風景、というわけではないけど、前回はここに一人で行かせてしまったのかと思うとやっぱり心細いよなと思いとても申し訳ない気持ちに。二回目とはいえまだ不安がっていたのでリラックスしてもらおうと、中に入れるカメラの棒を指して「僕の方が大きいから大丈夫だねと」冗談を言ったら怒られてしまった。加減が難しい。

 

結論からいうとまだ心臓は聞こえなかった。というか前回の検査から2週間たっているのに同じ5週目だと言われた。形は明らかに変わっていたので育っているとは思うんだけど少し不安である。ただ15%の確立で育たないこともあるらしいということは嫌という程読んだのでそこは覚悟することにする。でも初めて中をみたときはなんというか、色んなものが心の中でうまれた気がする。

 

これが将来の心配をする必要の無い安定した生活の中でのことだったらどんなに素敵だろうかとはもう1000回くらい思った。

育ってきた環境がちがうから。

色んな問題だって起きるさ。でも乗り越えて行ける、というか自分なら上手く対処できると思っていたんだけど甘かった。

 

妊娠検査薬で陽性反応が出た翌日病院に検査に言った時のこと。

こっちとしても結構いっぱい一杯で、とにかく責任は取ろうと思いお金等は僕が払う事に。これもまずかったらしい。

 

とにかく産婦人科って女性だけの聖域みたいなイメージがあったので「一人じゃ怖いからついてきてほしい」と言われたときに少し気乗りしなかったのもある。そしてボリビアの病院はとにかく待ち時間が多いという前回の教訓からkindleを持って行き待ち時間はひたすら未読だった文章を頭に入れていた。これもまずかった。

 

極めつけに、いざ名前が呼ばれて医者と面談するときに、一緒に話してほしいと頼まれたので、さすがにそれは入り辛いと思い「もう子供じゃないんだから一人で行きなさい」という感じのことを言ったらこれが相当ショックだったらしく、その後はひたすらふさぎ込んでしまう。

 

検査が終わったあとお金を引き出すために一度ATMへ。その際通った公園で「あなたとやっていく自信がなくなった」「とても冷たい」「ロボットみたい」等等心ない言葉をぶつけられてこっちも少しむっとなってしまった。

 

今考えて見るととてもパートナーへの気遣いに欠けたひどい対応だったと反省しているが、当時は僕も結構混乱しててそれどころではなかったという言い訳をさせてほしい。とにかくそこで喧嘩をしてしまい明日堕ろしに行くというところまで話しがいってから一度一緒に家に帰った。

 

 

方向性を間違えた気がする

この方向性では記事を読まれない気がすることに先ほど気づいた。気づいたものの、起きてしまった事は起きてしまったことなので別に変える気もない。自分、不器用なもので。

 

そんなわけでお腹のベイビーちゃんは順調に育っています。月曜日までにどうするかを決めないといけないのでそこはもっと真剣に考えるべきところ。日本で育てるのかこっちで育てるのかも未だあやふやなのでどうしたものかと頭を悩ませています。

 

目下計画しているのは、奥さんと一緒に日本でしっかり働いてお金を貯めてからこっちに家でも買って家賃収入で暮らせればいいなと思ってるけど、今更職歴もない30男が南米と比べてスーパーハードモードのジャパンで仕事をもらえるのだろうか。

 

別に将来ずっと住むわけではないので年金保険のしっかりした正社員にならんくてもいいわけで、それなら探しようはあると思うのだけど。貧乏はいいけど貧困はいやだよう。

理解するということ

最近、今までなぁなぁにしたままぶくぶくと貯まってきたツケが一気に噴火したような大きい問題が起きたせいでしんどい毎日を送っている。

 

でもそのおかげで少し気づけたことがある。僕は分かってるふりだけがうまくなっていた。その理解を体で受け止めることを疎かにしてきた。「あぁ、あるよねそういうこと」「わかるわかる、みんなそうらしいよ」「女の子が失うものが多い、不平等だよね」。本やインターネットで聞きかじった知識だけを振りかざすことで理解ある人間になったつもりでいた。それが本当にどういうことなのかをじっくり考えて身につけることをしなかった。言葉の表面をなぞっていただけだった。

 

これまで誰とも深い関係を持ったことがなかった。だからそんなぺらっぺらの鎧でもなんとかなってきた。そして今その身につけた(と思っていた)ものがどんどん吹き飛ばされている。分かったつもりでいただけだったという事実を、今、目の前にいる一番大切な人から突きつけられている。そしてそれは容赦なく僕の生身を責め立てる。

 

理解し合う事は難しい。そのことは”知って”いた。しかし「理解し合ことが難しい」ということがどういうことかを、僕は全く分かってなかった。そして理解しているふりをしてきたツケがいよいよ今回起きた問題と一緒にまわってきた。もっと小出しにしてくれれば払いようもあったのに、さすがに2年分を一気となると凄い額になる。いや、もしかしたらもう何度も支払いを求められていたのかもしれない。そしてそれを後回しにしてきただけなのかもしれない。無意識の内に、理解する重労働を避けてきたのだ。

 

今度こそ理解し合いたいと思う。

もう一度チャンスをもらえるのであれば、ということだけど。

南米に暮らし、自分の母親と父親の有り難さに気づく。

日本だと「あぁ、詰んでるねそれは」という家庭環境でたくましく生きてる子供たちの多いこと多いこと。それが南米。片親なんて当たり前。父親は酒を飲んで暴力をふるうし母親はいつまでたっても子離れしない。機嫌が悪いだけで容赦なく怒鳴るしそれでいていつでも自分の側に置きたがる。

 

だからこそ、母が言ってくれた「あなたが幸せならなんだっていいの。後悔しないように好きなことをしなさい」と言ってくれた母の言葉が胸に染みる。おそらくは帰ってきてほしいのだろうにそれを口にしない母の優しさ。電話を切った後に少ししんみりしてしまった。